それでも頑張っている人達
「かつての政権は頭脳(ブレーン)のない案山子ではなかった」 「『脱官僚依存』の自縄自縛で官僚機構をシンクタンクとして使えず、政府の外にいる『知』を生かした形跡も表には見えない」 と、現状の政権が文字通り「脳なし」だと言わんばかりの強い調子で批判を繰り広げている。

マスコミは国民のレベルを代表する
前回の私のメルマガに多くの方々から厳しいご意見をいただきました。1000文字で誤解を招かない文章を書くのは無理ですし、誤解を承知のうえ、論点を絞ったのも事実です。

先日、国会議員のパーティーに参加した後、ホテルを出ようとしたら、玄関で自民党の細田さんが若い人達に囲まれて何かを話していました。政治家を囲んで話を聞く若者達は偉いと思って近寄ると、「あっ、宋さん!」と先に細田さんに呼び止められました。

「野次馬達に捉まったんですか」と私が冗談を言いましたら、「いいえ、こちらは各社の政治記者達ですよ」と細田さん。

その瞬間、私はショックを受けました。まずその方々の若さでした。どうみても彼らの平均年齢は20代です。若者の起業精神を期待する私ですが、政治家を相手にする記者があんな若さで良いとは死んでも思えないのです。

次に彼らの質問の内容です。はっきりいって幼稚そのものです。「言えばいいじゃないですか」、「なぜそんなことをしないですか」など、実社会で少しでも苦労すればそんな質問してもしようがないとすぐ分かるはずです。

彼らはよい大学を出ているかもしれません。しかし、彼らは自分を持っていない上、世間や世界の試練を受けていないだけではなく、普通のサラリーマンの苦労さえしていないのです。そんな方々が政治家の担当記者で、新聞の紙面とテレビの画面を作っていると思うと自然とマスコミのレベルを察知できるのです。

全ての新聞と雑誌とテレビをよく観察してください。田原さん、関口さんのような独立した個人でマスコミに出ている人は殆どいなくなりました。全てはサラリーマンに替わりました。そのため、社説を除けば殆どの記事は作者の名前がついていないのです。そんな顔のない記事を読むほうが悪いと私は思います。

サラリーマンとして最も保護される立場で、最も安全な場所で、最も苦労の少ない業種に居る人達があれこれを流行り事のように扱うのです。そんな顔も思想も背景も知らせてくれないサラリーマン達の文字が大新聞、大テレビの名の下で売られているのですから、買ったほうに責任があると思いませんか。私が彼らを批判するのは簡単です。しかし、それは彼らを批判しながら彼らの記事や画面を見る人々、彼らの収入を支える人々と同じではないでしょうか。

経営コンサルタントをやってきた私はよく社員達に「うちの経営者をかえてください」と頼まれます。その都度私は怒ります。「それなら君が会社を辞めればいいのでは。そのほうが早いよ」と。はっきりいって私は口ばかりで行動を起こさない人々にイライラします。

話を戻しますが、なぜ日本テレビのバンキシャが岐阜県役所の不正を誤報したかというと、それは日本のマスコミに「役人は悪」という流行があるからです。なぜそんな流行ができたかというと、日本の国民がそう思っているからです。

役人を叩けば視聴率が上がるので記者やマスコミの下請けがその主観に沿ってあれこれ探し出すのです。マスコミは多くの視聴者に期待される結論に合う事実を選んできたのです。事実を使った間違った結論はその影響力からみてミスや無能よりずっと重大だと思いませんか。(今回のバンキシャ事件はヤラセではないので)。

言っておきますが、これは近年日本のマスコミの特徴です。たまたま警察の飲酒運転がニュースになって視聴率が上がると、必ずしばらくあちらこちら警察の飲酒運転事件が発生するのです。ある自動車メーカーに品質問題が起きるとしばらくそのメーカーの故障だけが報道されるのです。

「報道は事実でなければならない」。それは当たり前のことです。さすがに口の悪い宋文洲でもそんなことを否定するはずがありません。しかし、問題の本質はマスコミのレベルとそれを支えている国民のレベルだと思います。

サラリーマンに徹底しているマスコミは独自な視点を持てず、大多数の民衆の望む方向にカメラとペンを集中させるのが良くないというならば、大手にしがみ付き、チャレンジと創業精神を失い、マスコミに同じ結論を求める国民はどうなんでしょうか。

宋 文洲はそんな空気が嫌なんです。世直しのつもりはありませんが、せめて自分のメルマガの読者に異なる刺激に触れていただきたいと思います。結論ではなく、刺激です。

鳩山政権が記者会見の開放を反故にするという「公約違反」をしでかしてからというのもの、筆者の元には海外メディアからの取材が殺到している。内容はどれもが記者クラブ制度に関するもの。この日はそれぞれシンガポールと中国の新聞からの取材だった。 「長い年月をかけ、私たちジャーナリストは時に団結し、情報を隠そうとしがちな権力者や政治家に対して、記者会見を開いて説明責任を果たせ、と要求してきました。でも、世界の中でここ日本だけが、大臣が記者会見をオープンにしろと言っているのに、記者たちがダメだと言っている。まったく理解できない。説明してくれないか」  もちろん筆者にも説明がつかない。記者クラブ制度の奇妙さはこれだけには留まらないが、総じてどんな理屈をこねくり回しても説明のつかないものばかりである。 (via 亀井大臣に同じ会見を2度行わせる、 記者クラブの呆れた抵抗 | 週刊・上杉隆 | ダイヤモンド・オンライン
)

鳩山政権が記者会見の開放を反故にするという「公約違反」をしでかしてからというのもの、筆者の元には海外メディアからの取材が殺到している。内容はどれもが記者クラブ制度に関するもの。この日はそれぞれシンガポールと中国の新聞からの取材だった。 「長い年月をかけ、私たちジャーナリストは時に団結し、情報を隠そうとしがちな権力者や政治家に対して、記者会見を開いて説明責任を果たせ、と要求してきました。でも、世界の中でここ日本だけが、大臣が記者会見をオープンにしろと言っているのに、記者たちがダメだと言っている。まったく理解できない。説明してくれないか」  もちろん筆者にも説明がつかない。記者クラブ制度の奇妙さはこれだけには留まらないが、総じてどんな理屈をこねくり回しても説明のつかないものばかりである。 (via 亀井大臣に同じ会見を2度行わせる、 記者クラブの呆れた抵抗 | 週刊・上杉隆 | ダイヤモンド・オンライン

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8月30日の総選挙で民主党本部に詰めていたとき、私の頭に浮かんだのはこんなバカげた光景だった。日本のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」

 そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあんな質問に答えましたね。あんなものはジャーナリズムじゃない。日本の記者はただ騒いでいるだけ。今夜、この国が根本から変わったことを理解していない」

ニュース業界には奇妙なパラドックスがある。日本においてとくに顕著なのだが、ジャーナリストの数が多ければ多いほど、ニュースが少なくなるのだ。ジャーナリストの数が多ければニュースの質が上がるというわけではない。むしろ実際は逆のようだ。世界中に特派員網をもつ割には、日本人は世界で何が起こっているかをよく知らない。